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2007年12月24日月曜日

ポールマッカートニーと女性について。

この間ラジオでふとThe night before という曲を聴いて、そういえば若い頃のポールの歌ってアバンチュールで女性を口説き落として、
次の日あっさり振られてしまうような歌が結構多いんじゃないかとふと思いました。Yesterday もそうだし、ちょっと内容がちがうけれどI looking through you.とかFor no one とかリンダに出会うまではなんだか女々しい内容の曲が多いような気がします。
リンダの前の恋人ジェーンアッシャーがわがままだったのかもしれません。そういえば、リンゴがポールとダブルカップルで旅行に行った時
ジェーンアッシャーのわがままにつき合わされてうんざりしたと言ったようなコメントをアンソロジーで読んだような気がします。
それとも、あっちの方がワンナイトの火遊びではちょっと、という感じだったのか。まぁそれは人のこと、しかもスーパースターポールのことに対して失礼な話でどうでもいいことですが、ちょっと想像するとなんだかわかりませんが勇気づけられます。
僕は上記に挙げた曲達は結構好きで、たまに聴きます。特にThe Night Before はイントロから中々気分がいい感じになります。特にここ2、3年のお気に入り曲です。あと話は変わりますが、Wang Chang の Everybody have fan tonight を今結構聴いていて、アルバムも今聴くと自分に心地いいです。Soft Bank のコマーシャルに使われてもいいんじゃないかと密かに思っています。

2007年12月20日木曜日

風邪を引かない方法

僕はこの3年程風邪を引いていません。これはある方法を自分で発見して意識して行うようになったからです。
それは鼻呼吸 and 息止めです。
もう少し詳しく説明しますと、日常生活でなるべく鼻呼吸をするようにして、近くの人がくしゃみや咳をするタイミングで
息を止めるようにすることです。これを意識的に行って習慣づけるだけで風邪を引くことが殆どなくなりました。
特に混雑時の電車の中や人ごみの中は注意を要しますが、慣れると結構上手く行うことが出来ます。自分もくしゃみや咳をするときは
必ず口を押さえて人に迷惑がかからないように注意を一層するようになったし、これに関しては、風邪予防の手段としてかなり有効
だと思います。一番難しいのは風邪を引いている親しい人と会話する時に相手が咳をするタイミングでばれないように息を止めることで、
慣れるまで結構時間がかかります。そうはいってもさすがに今年はインフルエンザ予防接種を受けましたが。
みなさんも一度試してみて下さい。

2007年12月12日水曜日

電車にて

最近帰りの通勤電車でお客様同士のトラブルにより電車が遅れております。というアナウンスを良く聞く。
実際何度かおじさんと若者の喧嘩を見たことがあるし、混雑時に隣に明らかに不機嫌で誰かに暴力的に自分の鬱憤を晴らしたくて
しょうがないような人が立っていたりすることが一度ならずあります。12月になるとそれに加え人身事故による遅れも加わって
なんというか平和を謳歌している国の日常ではないように思えて来ます。最近特に不機嫌な通勤電車の風景が当たり前になりつつ
ありますが、どうせ混雑してみんなそれなりに不快な気持ちを抱えて電車に乗っているのだから、もう少しお互い気持ち良い雰囲気
を持って過ごせないものかと思います。と書いていくうちに何だかモラリストのぼやきみたいになってしまいましたが、人身事故と
いう知らせは誰かが亡くなっているということで、それを聞いても特に何の感想もない日々を過ごしていることを考えると、鉄道が
無機質な日本のガンジス川の様に思えて来ます。

2007年12月9日日曜日

ピースベット アメリカVSジョンレノン

を今日早速観に行きました。場所は六本木ヒルズ。
一人で行ったのですが、それが正解。ジョンとヨーコに40歳になる前に何か生き方の指針となるものを教えてもらおうと思って。
この映画を観て、特に新しい発見や初めて観る映像などはなかったのですが、勇気づけられる所は多くありました。
それにしても1960年代、70年代という時代がいかに遠くに行ってしまったかというのを実感させられる映画でもありました。
例えばニクソンとFBIがジョンをアメリカから追放しようとしていた陰謀というストーリーが今の僕にとってはなんだか遠い昔の出来事
のように感じられて、映像が古くなっていたというのもありますが、期待していた程に心を動かされなかった自分にちょっとびくりしました。というかジョンという偉大なメンターを持った世代が今、体制側にたってより複雑に賢くその支配を強めているように感じられる気がして。とにかく僕らはシンプルに正しいと想うことをシンプルに信じ、行動しにくくなっている時代に生きているような気がします。
あの時代のように対立軸が民主主義VS共産主義とか右派VS左派みたいにはっきりと見えなくなって来ているし、政治的癒着や汚職事件に
関しても日常茶飯事で怒る元気すら出なくなっている。人類としてのエナジーがなくなってきてしまっているのか、現実に対しての理想
が社会的ではなくより個人的なものとして考えられるようになってきたのか、昔のような一体感を持つことが難しくなってきているように感じます。だからこそ、シンプルに正しいと思うことを声を出して伝えていくことがより大切なんだと映画を観た後自分に言い聞かせました。

2007年12月8日土曜日

ぷっちょ

僕はいつのまにかUHA味覚糖ワールドにハマっていて、ぷっちょを会社帰りによく食べながら帰ります。
前はハイチュウでもよかったのですが、あのラムネやグミが一緒に入っている食感を一度味わってしまうと、もうハイチュウでは物足りなくなってしまってもう大体の味のぷっちょは食べています。先日いつものように駅の売店でぷっちょ(ヨーグルト)を食べながら電車に乗ってかえっていると、突然いつもの食感に違和感を感じました。奥歯の詰め物が取れてしまったのです。
あーあーと思ったけれど解き既に遅し!ぷっちょまみれになった金歯をあきらめゴミ箱に捨て、後日歯医者にいって再び金歯を入れ直して
もらうため型をとったのですがなんと5300円也。とても高い歯医者だなと思いつつ、もうぷっちょを気軽に元気に噛む程の若さでは
ないのだと思い、ちょっと哀愁でした。
ぷっちょはコーラ味とかも出して欲しいですね。厄年までは食べ続けたいと考えています。

2007年12月3日月曜日

掲示板

昨日下北沢で彼女と仕事帰りにご飯でも食べようと思って下北沢で待ち合わせをしたのですが、僕の方が先についてマクドナルドの向かい
の解体されたビルの工事現場の仕切り壁に設置されている掲示板の前で一風変わった光景を目にしました。
その掲示板には誰かの「妊娠していませんように!」と言う書き込みがあったのですが、その横に「きっとしていますよ、おめでとう〠」
と一生懸命書いている男性がいました。その方はおそらく60歳を超えている初老の男性で、その側で奥様がその男性が書き終わるのを
じっと側で見守っていました。書き終わると男性は奥様の荷物を手に取って歩き去っていきました。
とてもシュールな光景でした。
ネットの掲示板もだれがかきこんでいるのがビジュアルでわかればきっと意外な光景に出くわすことも多いのではないでしょうか。
そういえば気質の人じゃないような勢いで電話口ですごんでくるクレームのお客さんで実際会ってみるととってもちっちゃくて
人前ではすごく声が小さいくて対面のやりとりで完全に立場が逆転してしまった経験が何度かあります。
匿名性をもった言葉というものはあまり真剣に捉えすぎなくても良いのかもしれませんね。

2007年11月14日水曜日

LONG COMMUTE

僕は通勤が一時間半かかります。朝は9時からなのに6時起き。
都心から新横浜方面なのでラッシュには遭遇しませんが、中途半端に混んでいて、しかも急行から各駅に乗り換えたりして
眠る時間もなくこの時間はフラフラです。本気で引っ越しを考えております。
最近帰りにお客様同士のトラブルのため電車が遅れていますというアナウンスを良く耳にします。おじさんと若者の口論も何度か車内で目にしました。今日はそういうことはなかったのですが、何とかぼくでも長い通勤時間静かに我慢しているのだから、喧嘩は止めて欲しいです。迷惑だし、止めずに傍観しているこちらの居心地の悪さったらないですし、袖ふれあうも何かしらの縁だと思ってねぇ。
タモリの電車クラブとは違って何だか居心地の良くない昨今の電車内です。
と全然違う方向に話題がズレていってしまいましたが、これでいいのだ。

2007年11月12日月曜日

私実は婚約しましたので

この間、結婚式の2次会で今年の始めに2回寝たことのある女性の友達に会った。(村上春樹風)
2回寝た後も、またあった時出来ればいいなと思っていたので3ヶ月に一度くらいメールでお伺いをたてていたのですがあまり乗り気ではない返事が続いたのでこりゃもう脈なしと放っておいたところで、久しぶりに再会したのでそこでは軽く挨拶程度で済ませ、悪い感じではなかったので翌日またよせばいいのに、また飲みに行こうよとメールを送ったときのお返事がタイトルの「私実は婚約をして〜云々 また機会があればみんなで。」
ということでした。なんというか本気でもないのに下心だけでメールでちょこちょこアプローチして繋いでチャンスあればと考えている
自分のセコさが身に染みて3丁目の夕日みたいな郷愁を感じさせてくれるメールを頂きました
恥ずかしくてたまらなくなったのでなっておめでとうと返事してそのメールを削除してなかったことにしようと思いました。

2007年11月9日金曜日

ジョンレノンを聴きながら

久しぶりにジョンレノンを休みの日に聴いている。IPODをシャッフルモードにしているつもりだったのだが、ダブルファンタジーの曲が順番通りにかかっているのでそのままなんとなく聴いています。やっぱり40歳が目前になってくると身にしみる歌詞が多いのに改めて自分はなにやっとんのかと思います。特にBeautiful Boyの「道を渡る時は僕の手につかまって。君がいろいろと頭の中で空想を思いめぐらせているその間に現実は今君の目の前で起こっているんだよ。」という所はやっぱりぐっと涙腺にきてしまいます。俺も子供ほしいなぁ。
子供にこんな気持ちを込めてやさしく見守るジョンの眼差しはどんな感じだったのだろうかと想うとなんだかたまらない気持ちになりますね。ジョンの羨ましい所はやっぱり一人だけしかいないパートナー、ヨーコと巡り会って何のためらいもなく正直に生きた所だと思います。自分の現実はままならないですなぁ。
僕はよく30代の今の自分の生き方というか姿勢をジョンやポールからヒントを貰ってなんとかやって来たのですが、前に一度そのことを友人にしたところ、「どうして私たちみたいな普通の生活をしている人達が彼らみたいなスーパースターの生き方を参考に出来るのか想像ができない。」と言われたことがありました。それを聞いた時僕は少なからずショックでした。そういった音楽や小説などの出来事をエンターテイメントの世界のこととして自分のこととは全く別ものと考えている人達がいるということが!。もちろん僕は平凡な生活をしている普通の人間であることは十分認識しています。しかしながら、僕はこの歳でも恥ずかしげもなく未だに自分の人生とオーバーラップさせてその世界の出来事を考えています。例えばジュリアスシーザーは40歳から人生のピークを迎えたから、俺もこれからだ、準備せねば!とかそんな感じで。これって変なんでしょうかね。ジョンに「さぁ道路をわたる時はもう大人なんだからちゃんと信号みてわたれよ!」と怒られてしまうのかもしまいませんね。まそういうのが好きなんでしょうがないっすね。懲りずにいきますわ。
そういえば12月にジョンレノン関連の映画が2本公開されますね。一つはジョンとヨーコの活動を綴った映画でもう一つはジョンを暗殺したマークチャップマンの話。この年末はジョンとヨーコからまた色々と教えてもらえそうです。

2007年11月6日火曜日

男の更年期!

小沢一郎の辞表撤回には驚きというか圧倒的に呆れて感動しました。
政治家というものは常に何か計算や思惑があって発言し、行動するものだと思うのですが、ましてやあの壊し屋、豪腕の名高い小沢一郎なら何かあるに違いない。ということで新党結成か?とかいろいろ憶測が飛び交いましたが、僕としてはもちろん裏に色々な計算打あったことを踏まえた上で、本当に小沢さんは人間不信になり寂しくなってしまっちゃったんじゃないか?と思いました。あれだけ参議院選挙で圧勝してこれからと言う時に突然ぷいっと拗ねてしまうのは小沢さんが年齢的に精神的に情緒不安定になってしまっているからではないか。と思います。50歳を過ぎてからの男性の心理状態というのは僕にもまだ解りませんが、友人の父さんが突然情緒不安定になり、今迄論理的で、理性的に常に言動一致していた方がうって変わって支離滅裂な言動が目立つようになってしまったのです。原因は男性の更年期障害だったということです。
それだけが、原因ではないと思いますが男性もある一定の年代になると体の変化によって精神的に何かしら影響を受けるのではないか?
と思います。安倍さんや小沢さんはそれぞれ年代も違いますがそれぞれにその老いの変化の一線に来てしまい支離滅裂な行動に走ってしまったのではないかと思います。そう考えると過去の大分年上の偉い地位に付いている先輩社員の方が突然理解不能な言動に走ることがあったことを少し理解出来るような気がします。
ずっと理性的で大人なイメージを一貫させ大物でいるのはこのオーラ亡き時代難しいのかもしれませんね。
きっと昔の政治家も記録に残らないところで訳の分からない所があったに違いないっす小沢さん!
小沢さんは政治家としては常に原理原則に従い至って首尾一貫した論理的な政治家だと今でも感じています。

2007年10月30日火曜日

不幸の順番

唐突ですが、昔僕はじゃりん子チエの愛読者でして、今でも鮮明に覚えているのがチエのおばあはんの「まずは食べなはれ、不幸は必ず次の順番で来ますのや、ひもじい、寒い、もう死にたい」と言う格言です。僕がまだ20代で人生絶体絶命のピンチだった時にとても役にたったことをふと思い出したので今日はこの話題です。僕はその時、家族に向かって「ひもじい、寒い、もう死にたいの順番で不幸がやってくるからまずは食べよう!」といって吐きそうになるのを必死で堪えながらトーストにがっついたことをよく覚えています。お袋なんておえー、おえーって言いながらたべてたなぁ。多分あの時何も食べないでひもじくなったら、思考能力が低下して体温も下がり、もう死にたい!となっていたかもしれません。あの時あの格言通りに食べ物を口に入れたからこそ、少し余裕が出来て考えることができ、なんとかピンチを切り抜けられたのだと実感しています。
それにしてもはるき悦巳さんは本当に人生の洞察力が深くて、ひもじい、寒い、もう死にたいなんてさらっと言ってのける所が本当にすごい。多分、医師等の専門家は「これは科学的に根拠があります」とか言いそうですね。僕はこれからも何かヤバいことになったらまずはとにかく食べることを第一優先にして生きていくと思います。はるき悦巳さんには本当に今でも感謝しています。

2007年10月29日月曜日

オーラなき時代

オーラ亡き時代というのは2000年頃から僕が感じ始めたことです。オーラの泉が始まるずっと前に僕はそう感じてしまっていたことになります。泉はすでにもう枯れてると思いますねやはり。
というのは今の時代、秘密めいた雰囲気を醸し出したり、常人とは一線を画した雰囲気を出すのは不可能に近いと思うのです。デビューしたとたん情報に取り巻かれて裸にされてしまう。表の顔だけで陰の部分を見せないで長い間引っ張ることが出来なくなったのだと思います。よって、無難に腰の低い普通の人ぶりを装わないと世の中で上手く生きていけない。自分のオーラにしている部分はすぐに謎がとけて、なんだ案外普通なのね。ということになってオーラの売りの部分が一瞬にして命取りになるからそれを出さないでオーラなしでいないと身が危ない。
逆に沢尻エリカみたいに無理にオーラ出そうとすると、あんな感じで「オーラ出てすいませんでした。」みたいに世の中にあやまらないといけなくなる。政治家だってそうですよね。安倍さんは論外として、あの小沢さんだって必死にオーラ出てすいません今消してマッス。
みたいな感じがするし。これからオーラ出してしまったら「オーラ出してごめん」とか出してる人をみたら「オーラ出てますよ!」とか言って注意していきたいと思います。

2007年10月28日日曜日

マラソンと村上春樹

ここの所、村上春樹の新しい本に刺激を受けてジムで週に二回5キロランニングマシンで走るようになった。30代前半から断続的に室内を走っては来たけれど、今回はマラソン(といっても10キロだけど)に出て外をちゃんとリアルに走ってみようと思っています。会社の同僚にも走りたがってる人がいて、一緒に走る予定なのだけれど、仲間も出来て、久しぶりに目標を持って練習できる日々に新鮮な感覚を覚えています。
村上春樹の文章を読んだ後ミズノのランニングシューズも買ったりしてちょっとその気。(もしかしたらミズノのシューズ僕と同じような人がたくさんいて売上増えてるかもしれませんね。)
最近趣味らしき趣味を持っていなかったので、打ち込めそうな気がしています。TOEICとランニングは目標をもって取り組めるから
僕にとってはいい生活のペースメーカーになってくれそうです。人間って点数とかタイムとか具体的なゴールがあるとそこをとりあえず
目指すことが出来るので自分の中の時計が前にコチッコチッと進んでいくような感じがします。
その感覚が今気持ちいいです。

2007年10月22日月曜日

亀田 朝青龍 沢尻エリカと村上春樹

いやーこの間の亀田騒動といい、朝青龍騒動といい、沢尻エリカ騒動といい、世間という得体の知れない空気感の異様な程の恐ろしさを感じます。確かに上記の3人はそれぞれ常識で考えればまぁ一線を越えてしまうようなヘマというか、愚行というのかを世に晒してしまいましたが、その後のワイドショーやら週刊誌やらの「きみらイテマウゾ!」というような苛めのような集中攻撃には目を見張るものがありました。そんなに騒ぎ立てるようなことなのか? その前に面白がって持ち上げたのはマスコミを始めとした世間ではないのか。
朝青龍は祖国に避難し、他の二人は謝罪したけれど、みんなで一気に村八分にして精神的に追い込むような残忍なやり口。これが、最近の日本(昔からそうだったけれど輪をかけて)の空気を過剰に支配しているような気がしています。所詮娯楽なんだからもっとおおらかでいいのではないかと僕は思うのですが。ところでこの間村上春樹の「僕が走る時に走ることについて語ること」を読みましたが、おそらく彼も世に売れに売れた時、世間にいわれなく叩かれた時期があったのでしょう、村上春樹自身の誇りにしていることを語るときにあまりにも、これでもかと言うくらい謙虚で用心深い表現をしています。もっとストレートに自慢してもいいのにと思いますが。それ程個人が世間に名前を出して対峙していく時に防御が必要なのか。と感心しました。僕のサラリーマンは昔のように気楽でいいのかというと、そうでもなく、やはり僕の前にも世間という得体の知れない怪物が小規模にせよあり、それはインサイドコミュニティーであってもそれが自分の外部に接している世界のすべてなのだからやはり同じようにとても恐ろしいものだと思います。
 亀田選手も朝青龍も沢尻エリカも僕もどのようにこの気分屋でムードだけに支配されて突然容赦なしにせめて来る世間の前に公に出て行動、発言するときは村上春樹を見習って用心して臨むべきだと思いました。

2007年10月18日木曜日

e-ma味覚糖

最近ずっと気になっているのがe-ma味覚糖のコマーシャルに出てくる、ベンチに座ってギターを引いているあの歌手?と思われる男子
は誰なんだっていうことです。調べれば解るんだろうけどそっとしておいた方がよいような気がするので放っておきますが、
久しぶりのイケテナイ感には感動してしまいました。勇気をもらいました。
売れることをお祈りしています。
さて、会社イコッと。

2007年10月13日土曜日

禁煙と読書

禁煙成功後しばらく本が読めなかったのですが、ようやく読む気になって来たので先日本屋に行って何冊かあさってきました。
面白かったのが柄谷行人さんの倫理21という本。
たぶん有名な本だと思うのですが、他者を手段ではなく目的として扱え。という言葉がこのさき自分にずっと響いて来そうです。
僕は普段絶対にこんな風に考えて生活しないし、思いつきもしないのでこういうことを考えて本にして問いかけ、高みから説明してくださるのはほんとにありがたいと思います。自分でもなんで読むのか解らないのですがこの手の本、年に1冊は読みますね。
柄谷さんは他の作者の引用で良く目にする名前だったので今回文庫で安く手に入れて読むことができて良かったです。
それにしても明快かつ難解というか何度も頭で反芻しないと馬鹿だから呑み込めないですね。でも好きだなこういうの。
後はポールオースターの「偶然の音楽」の英語版を読んでいます。英語で読むと違うルールで語り直したような新鮮さを感じるのでストーリーが解っていても面白いですね。ポールオースターでは「最後の物達の国で」が一番好きなんですが、これを英語で読むと心の底から疲労困憊して厭世気分に満ちてしまいそうな気がするので止めておきました。
こんな風にあたかも英語を自在に扱っているような雰囲気を装いましたが、1冊読むのに数ヶ月かかる様なレベルですから。
それにしても秋は読書ですね。やはり。

2007年10月12日金曜日

ついに禁煙成功

とても久しぶりにブログを更新します。
まぁ誰も読んでないだろうからいいんですけど、ついにやりました。禁煙成功!
どのように成功したかといいますと、35歳あたりから年に2回以上は禁煙にトライしようとしてろくな成果もなく毎回失敗していたのですが、今回は医者に行ってニコチンパッチを処方してもらいました。一度使用したことがあるのだけれど、その時は使用方法が間違っていたらしく、日中だけ貼って寝る時には剥がしていたのですが、一日中24時間貼りっぱなしにしなくてはいけないということで、今回は
お医者さんのいうとおり一日中貼りっぱなしにして臨みました。そうすると、ニコチンの作用でやけにリアルで鮮明な夢を毎日見るように
なりました。中にはえっちでリアルな感じなやつも見ることが出来て最初の2週間なかなか充実したドリームライフを送ることができました。正直言うとその2週間の間に3本くらいパッチ貼りながら吸っちゃったりしましたが、ニコチンの摂り過ぎで気持ち悪くなったりして
徐々に喫煙イコールニコチン補充という自分に刷り込まれている中毒習慣からはなれて一日一日を過ごせるようになっていきました。
もう一度通院してさらに2週間分のパッチ(大)をもらいさらに5日ほど過ごしている内にパッチによる夢も見なくなり、かぶれて痒くなったり、皮膚から摂取しているニコチンが不快に思われてきて、一週間前に新しく貼り替えるのを忘れて出勤したのをきっかけにして
パッチを貼るのを思いきって止めてみました。そうするとやはりニコチンの威力は凄く2〜3日意識が飛ぶような感じの眠気に襲われたり、落ち着きのない感じがずっと続く感じのする、いつものひどい離脱症状が出たのですが、その解消に喫煙という行動に頭の中で無意識の状態で結びつかずに済み、ピークを越すことができました。禁煙セラピー等にはニコチンの禁断症状はないに等しいみたいなことが
書かれていますが、命に別状はないもののやっぱり強烈にキツいと僕は思います。乗り越えるのは簡単じゃないっす。
それからさらに今十日程経ちますが、快調です。呼吸が楽になり、眠りが深くてとてもいい感じです。ようやく、40前に喫煙を止めることが出来そうです。

2007年6月22日金曜日

Paul Mccartney ニューアルバム

ポールマッカートニーのアルバムメモリーオールモーストフルが6月初旬に発売されましたが、やっとじっくり聞き込むことが出来たので、レビューを簡単に書きたいと思います。今回ははじめてアイチューンストアからダウンロードして購入したのですが、そのままランダムモードで聴くとちょっとこれどうなんだろうと最初正直思いました。しかし気を取り直し改めて順番通りに聴くと、やっぱりポールは健在でした。アルバムはやっぱり順番通り聴かないと、創った人に失礼ですね。デヴィットカーンのプロデュースらしく、ストレートなロックナンバーとポールのメロディアスなポップさが上手く解け合って仕上がっている印象をうけました。ただシングルのDance Tonightはシンプル過ぎてポールじゃなかったら公式に流れないんじゃないかって思いました。あとThat was me と Nod your Headは同じ曲なんじゃないかと思うんですがねぇ。これらの気になる部分を除けばとても好きな曲が多く、良いアルバムだと思います。 それにしてももう65歳で自分のお袋さんと同い年なのにきちんとハイレベルな楽曲を作り続けているポールはすごいと思います。「ちょっとラジオで流れるようなポップソングが作りたかった」といってMy present past を軽く作っちゃうところなんかは脱帽ですし、See your Sunshineのベースプレイもたまらないですし、Mr Bellamy でのBeatles 時代のRocky Raccoonの流れを汲むポールのショートストーリも健在ですね。Vintage Clothesも合唱コンクールで歌えそうな覚えやすいメロディーで、とても美しく、ど真ん中直球すぎるのがきてます。これがポールの魅力だと思うのですが。
今回はやはりプレイベートのこともあってか、ラブソングはあまりなく、明るく振る舞っている中になんとなく
ポールの孤独感というか虚脱感の様なものが見え隠れしているような気がします。それでも音楽で表現し続け前に進んでいくしかないんだ。とでもいうようなポジティブな姿勢に今回もばっちり勇気を頂きました。

2007年6月9日土曜日

地球温暖化と喫煙問題

この間テレビを見ていて、ヨーロッパで自分が排出した二酸化炭素分のお金を払うと、温暖化対策をしている企業に投資され、その分がチャラになるという話を見ました。なんだか違和感がある。机上の計算ではそうだけど本当にそうなのでしょうか。僕が高校生の時煙草
一本がみかん二つでチャラになるなんて話をしていたのですが何だかそれに似ている話のような気がして、自分だったらどうするだろう
と考えてみました。例えば自分がタクシーに乗って飛行機で何処かに行き、その分の排出に酸化炭素量分を支払う。電気消し忘れて、その分の二酸化炭素量の金額を払う。人の意思にまかすより、うーん税金にした方がフェアまじめな取り組みなんじゃないのか。どちらにせよ
その払ったお金からその機関で働く人の給料も支払われているはずで、なんだか純粋なシステムのようには思えない。
なにかがインチキ臭く感じてしまうんですが。でも何もしないよりは前向きで良いのかもしれない。
止めた方がいいのに止められない喫煙の問題に何だか似ている気がしますね。自分の肺を汚してしまった罪悪感をスポーツジム行ったりして健康に修復している自分の姿に重なりました。地球も僕の肺の何億倍もの時間のスパンのなかで人間によって汚されている。
そう考えるとちょっとこの問題が身近に感じられてきました。

2007年6月3日日曜日

禁煙? 喫煙?

僕は喫煙者ですが、これに関しては割と筋金入りで17歳の時から吸っていて、流石に33歳辺りを過ぎた辺りからもう止めなあかんと
思い挑戦した禁煙回数は数知れずですが、まだ成功したことはありません。一番長く成功したのが半年間で、それ以降は1週間前後しか
持たず、意志の弱い嘘つきの座に甘んじています。やはりアレンカー著の禁煙セラピーが一番説得力があり論理的で、喫煙の仕組みと麻薬中毒であるということをはっきりと解りやすく自覚させ、喫煙者の言い訳を見事に論破し、やっぱりやめよっと言う気持ちにさせてくれます。半年禁煙できたのもこの本のおかげでした。
また吸ったので意味ないですけどね。そろそろもう一度禁煙に挑戦しようと思います。よく考えてみると禁煙してたときの方が、良く眠れたしご飯も美味しかったし、活発に行動できていたのでいいこと尽くめだったと思います。
なのになぜ吸ってしまうのか?
やっぱり洗脳されているでしょうね。ちょっとほっとしたい時、退屈を紛らわしたいと思った時、物思いに耽りたい時、にちょっと火を付け、煙を燻らしてちょっとカッコいいみたいなイメージが染み付いてしまっていて、さらに健康優良児のいい子ちゃんはごめんだ。みたいなちょっとあまのじゃくな意味のない反骨精神のつぼを刺激するものがあるんですよねぇ。おまけにニコチンの禁断症状と重なって止められなくなってしまう。
たばこ会社の戦略に踊らされている!
そう思いながら煙草を取り出している僕。
今週中にもう一度禁煙セラピー読んで禁煙します。

2007年5月30日水曜日

温泉旅行

先日群馬の四万温泉に一泊で行ってきました。中々やわらかいお湯で、旅館の食事もおいしくて、久しぶりにゆっくりできました。
ところで、群馬と長野って似た地域だと思うのですが、長野に比べて、群馬はぐっと寂れた感じがしました。温泉やスキー場や高原の自然など特色はかなり共通点があるのに、久しぶりに群馬に行ってみるとかなり古びてしまった感じがしました。県政の違いなのだろうか、
それとも軽井沢とかもともと長野の方がいろいろな面で有利な土地柄なのか、それとも県民の性質上の違いなのか.....。
群馬のそういった地味さも悪くないし、そのままで至って良いと思うのですが、商売っ気を持った目で見るともうちょっとなんかこう
上手く出来そうな気もするんですが、それは観光客の勝手な見方でしょうか。余計なお世話ですよね。

2007年5月27日日曜日

トイレット

突然ですが、僕は朝寝起きが悪く、出勤して電車に乗る迄無意識でいることも珍しくありません。電車に乗ってからだんだんと目が覚めて
くるのですが、その後、ウンが来ているときは腸が突然活発に動きだし、猛烈にトイレに行きたくなることが多いです。
状況によりますが、途中下車も年に10回以上はしていると思います。そういう体質なので自分に取っての主要駅のトイレは把握しています。朝のミーティングなどもそれが原因で遅れたことも多いので、大事な予定の30分前には目的地に着くようにしています。10分前
位だと席に着いたとたんお腹グルグルと唸りだしてかなりつらい思いをしたことが多々あるのでとても不安になります。
今迄一番辛かったのは、建設中のビルでのミーティングで、少しヤバいかもなと思いつつ約束の時間ぎりぎりに目的地に着いたので、
そのままビルに入り仮設のプレハブミーティングルームに入り出された冷たいお茶を飲んだとたん腸内ビックバーンがやってきました。
会議が始まる前にトイレを案内してもらってほっとしたのも束の間、トイレのドアを開けたら小用便器一つだけの男子トイレで、そのまま
言い出すことが出来ず小をちょろっとだけして、会議に戻ったのですがその後がもう何度防波堤を越えてしまいそうになったかわかりませんが、2時間、ただただ持ちこたえることに命がけで会議が終わるのを待ったことがあります。本当にあれは地獄でした。終わった後走って近くのデパートのトイレに駆け込んでことなきを得ましたが、あれをもう一度同じ状態を繰り返したら確実に悲劇的結末が待っていることでしょう。あの時の忍耐力がいつもあればなぁとしみじみ思います。

2007年5月22日火曜日

さてTOEIC

そういえば今週末TOEICの申し込みをしていたのを忘れていた。受験票が届き思い出したのだけれど、今回何の準備もしていない。
TOEICって実際の英語コミュニケーション能力とはちょっとギャップを感じるけれど、点数の目標をもって望めるから勉強の指標になって
具体的な励みになるのは確かだと思うが今回はちょいとまずいなぁ。
まっいっか。僕は高校時代授業をさぼりまくり、2浪の末(1勝13敗)3流大学に入り、大学時代もバイトに明け暮れ、社会人になって
5年が過ぎたあたりから徐々に勉強するようになったのだけど、実際社会人になってからの方が全然勉強するようになった。覚えは10代の頃から比較すると格段に悪いし、若い頃から勉強することが習慣になっていなかったこともあって、要領もよろしくない。だけれども、
今ある程度勉強する意欲があるというのはいいことだと思う。学ぶことは昔より今の方がずっと楽しいし、浪人時代から身に付いた読書癖も今や趣味の域に達した。昔勉強のことで誇れることが小学校位まで遡らないと何もないため、逆にそれが糧となって勉強する意欲につながっているように感じる。どちらにせよ今何を目標にして何をしなければいけないのかと考えることの重要性が身にしみる今日この頃。
過去の成功や良かった思い出話に明け暮れて今を過ごしていくのはやっぱしご免だと思う。
だんだんと死んでいくような毎日を肌で感じてしまう様な生活からは出来るだけ逃げていたいから。
と偉そうなことを言っているが、ただ飽きっぽいだけかもしれませんね。結果が伴わないとだめですね。がんばろっと。

2007年5月20日日曜日

21世紀


上海から帰ってから、イヤー俺って何にも知らないんだなーって思いました。あの淀んだ空気は確実に地球温暖化に大きな影響を与えているし、沼のような匂いの水道水にも参りましたが、なによりあの止めようのない人の数と経済のマグマが吹き出るような力にはまだ余韻が残っています。
イヤー日本は小さい、そこに住んでる自分はなんと小さいのか。帰ってから休みに会社行かなきゃとか思っていたのですが、俺一人
休日出勤してもたいして変わらんと思って休んでやりました。昨日今日ととても天気が良く、おかげでゆっくり休めました。
21世紀が始まってからもう5年以上経ちましたが、自分のメンタリティーがまだまだ20世紀の考え方から脱却していないな。と
つくづく感じます。ネットワークとして世界は狭くなったものの実際ネットや映像や書物だけではリアルなものって見えてこないですね。
今からでも遅くないからもっと旅をしよっと。
僕の30代後半はもう確立していたと思っていた自分の人格や個性がまたばらばらっと崩れて、自分ってなんなのかやりたいことは何なのか、
改めて最初から作り直さなきゃならないような感覚の中を手応えのないまま彷徨っているように思われます。
そういうのって結構自分的にキツく感じているんですけど、同時にわくわくしている所もあります。
さて、また月曜日!

2007年5月19日土曜日

上海2


昨日上海から戻りました。
仕事だったので、いろいろと見て回る時間は少なかったのですが、果てしなく続く高層ビルとマンションにはとてつもない大きなスケールを感じました。ずーっと果てしなく新宿が続く感じといえば良いでしょうか。街を歩いていても人の多さとそのパワーには完全にやられました。
自分が小学生だったころを思い出しました。全体がエネルギーに満ちていて、みんなリッチで満足している訳ではないし、いくつか不安と戸惑いはあるけれど誰もが未来に明るさを感じられるような雰囲気。リアルパッチギ、3丁目の夕日といえばいいのでしょうか。
おそらく次のオリンピックや万博の2、3年で中国はアジアの中心としての位置をはっきりと世界に認知されるだろうと思います。日本が中国に対してかなりライバル心を燃やしていますけれども、僕個人の意見としてはそんなこと考えるより中国ともっと親交を深めて良く知るべきだと思いました。数十年後には中国に留学に行くのがステイタスになるんじゃないでしょうか。昔日本が遣唐使を送ったように。
兎に角、食事は驚く程安かったし、満足です。飛行機も3時間程で丁度良い感じだし。後は驚く程地元の人とコミュニケーションを取るのが、難しかったです。言葉は予想して意味を把握することが全く出来ないし、漢字で筆談を試みましたが全然通じませんでした。
割と汚い格好で街を歩いてみたのですが、何故か日本人とすぐ解るようです。
そういえば僕も日本にいるとすぐ解りますものね。また近いうちに行きたいです、中国。

2007年5月13日日曜日

上海

明日から仕事で上海に行きます。はじめて行くのですが、いろんな人に水に気をつけるよういわれました。
中国といえばBRICSとかいってすごい勢いで成長してる国ですが、日東駒専みたいな感じなのでしょうか。それならば親しみを感じます。
本当に最近良く思うのがもっと若いうちにいっぱい外国行っておくべきだったなと思います。もちろん今からでも遅くないのですが
なんだか新しい、体験したことのないものを見たり感じたりするフレッシュな感動の感覚がどんどん鈍ってきているような気がしています。
それとも世界の風景がどこも同じになってきてしまって新しい体験そのものがあまりないのか、事前に情報が多すぎて既にバーチャルに
体験してしまっていることが多いのか。
よく解りませんけどなんとなく後者のような感じがしますね。だとしたら年齢は関係ないから、一安心。
それと、偉大なスターというのも見かけなくなりましたね。私生活や発言など見られたくない部分も、ユーチューブが代表格ですが時間差なしで、すぐに暴かれてしまうし、一貫性を持った期待を裏切らない姿だけを見せて演出していくことが不可能になったといってもいいと思います。オーラの泉みたいな番組がやってますけど本当はオーラなき時代を生きていかなきゃいけないんだと思います。
とりあえず自然体で行ってきます。

2007年5月12日土曜日

下戸の飲み方

ここのところ、仕事が忙しく、疲れきっています。この歳になると忙しさには慣れ、まぁなんとかハンドリングできますし疲れも適当に
誤魔化して、なんとかやっていけます。夜飲みに行ったりしないように心がければ結構これから働き盛りだとも思えてくる程の体力が
あるような気がしてくることもあります。飲みに行くといっても私全くの下戸で居酒屋ではいつもウーロン茶1リットルくらいで雰囲気
に酔って楽しむことが僕の飲みの意味です。
30代前半迄は朝迄ウーロン茶だけで飲み通し、次の日仕事でも全然平気でしたが、あの時間俺何やってたんだろうと思うとちょっと後悔することもありますが、とにかく楽しくて、仕事の話からバカ騒ぎまで膨大な時間をそれに費やしました。今は昔からの友人は酔うと同じことばっかり言うしお互いそれなりに責任がなんやかんや増え2時間お開きで十分な感じになりました。あうんの呼吸で通じ合う時代を過ごした友人達とは3ヶ月〜半年に一度軽くそんな感じで飲めばかなりお互い満足できます。逆にそれ以上はトゥーマッチですね、僕の場合。あと新しく出会った人達と飲みに行くのはかなりおっくうになりました。歳ですかね。
女性と飲む時も昔程ガッツいて積極的にウーロン茶飲んで盛り上がることはすっかりなくなってきたなぁと思います。
ただ、たまに昔つきあっていた彼女なんかと飲みに行くのはなんかノスタルジックでいいもんだなと思います。
それで何か起こる訳ではないですけど、なんだかこっ恥ずかしい快感が心の奥にじわじわっとくるんですね。
といっても飲めないんで、あとは家帰ってちょっと思い出して鼻の下長くするくらいですけどね。
これだけは言えますが、しらふ下心ありで口説くのはとても大変です。

2007年5月9日水曜日

憂鬱ノープロブレム

このブログに30代男の憂鬱とかいう題を付けてしまいましたけど、正直僕は鬱な状態になったことはなく、常に自然体ロウレベルエナジーを保っているような感じで元来楽観的に日々を過ごしています。
2、3年前までは自分の周りでは鬱病を患う友人、後輩は多く、特に最近の若者はちょっと叱られたりしただけで鬱病になってしまう人が多い様に思います。僕も最近まではかなり気を使って新人などの若い人達と接していましたがかなり不自然になるので最近はそういうのやめました。最初鬱病になってしまう若い人達が増加して来た時は本を読んだりして
理解しようとしましたが、結局がんばれといわない方が良いとか大変だねといって話を同調して聞くとか表面的な対処の仕方しかできず、かといって何か彼らの状態が良くなるような手助けは何も出来ず、ただ側で見守ることしかできませんでした。
しかも伝えたいと思ったことももしかしたらこの言葉が彼らの精神的負担を大きくしてしまうのではないかなど気にしすぎてしまって、結局腫れ物に触るようにするだけで休職→退職のプロセスを静かに待つだけだったので、これはいかんと思い解らないものは解らないものととらえて、正直に思いやりをもって自然に接して行くように心がけるようにしました。相手への影響は多分何も良い方に変わらなかったかもしれませんが、僕自身は気持ちが大分楽になりました。結局自分本位でしかないですけれど、それでいいのではないかと開き直っています。
といってもここ最近は鬱の人は僕の周りにすっかりいなくなってしまいましたが。回復した友人も何人かいて、昔と変わらない付き合いをしています。
全体的にはやはり景気の動向や社会のムードとの関係が深いのでしょうか。ここ最近は少しづつですが新しい働き方にみんなが慣れつつあるのかもしれません。といっても先が見える安定した状態だとはこれぽっちも思えませんけど。

将来

小学生の頃 将来のことを考えた時、38歳には子供が二人いて奥さんと4人家族でとても大人な自分を想像していたけれど、
こんな変わり映えしない自分に今更ながら驚く。ここ数年良く思いが過るのだけど、この歳でまだ将来のことを考えるなんて思っても
みなかった。将来ってなんだろう。まぁ寿命も伸びているし、この間スェーデン人の友人とこの話をしたら、彼もとても共感してくれたので、僕らの世代以下には世界共通の感覚なんじゃないかと少しほっとしました。
きっと僕らが子供の頃に見た僕らの親の世代だった30代の人達も精神年齢的には僕とあまり変わらなくて、きっと彼らも自分たちの将来を考えていたに違いない。あと2年で部長になって家のローン払い終えて、息子夫婦と孫が盆暮れに遊びに来て、とか。
その息子はあなたの想像とかなりかけ離れた、まだ独身でふらふらしている不埒な男をやっています。
僕の今夢見ている将来は英語をマスターして海外で生活して、あこがれのリバプールに旅行して一冊位は本を出してそこそこ売れて、子供も一人は育てたいなと思っています。おめでたく楽観的ですいません。
野茂選手は今どんな将来を夢見ているのか?

2007年5月7日月曜日

平日休み

ゴールデンウィークもようやく終わり、今日はほっと一息お休みです。
僕は仕事柄平日に休むことが多いのですが、昼間下北沢界隈の街をブラブラするのは、中々気楽で楽しいものです。
ランチはどこも空いているし、地球の自転が足下でおこっているのを実感できるような感覚の時間の流れ方でなんともいえない気持ちの良さです。
でも気がつけば、初夏の香りと早くも梅雨の気配。時間は勝手に過ぎて行きます。
いつも、こんな感じで一年が過ぎて行くことを考えると、本当に自分の人生の過ごし方の無為無計画さに自己嫌悪になります。
太宰治の「ただいっさいは過ぎて行きます」という人間失格のフレーズをついつい思い出してしまう今日この頃。
このまま40歳に突入していくのか俺!
たぶんそうだろう俺!
これでも、あまり悪くないんじゃないかと一応楽観的なのですが、それはいいともを観ているからかもしれません。
今頃野茂選手はどうしているのだろうか? 同世代の偉人にふと一人話しかけたくなるような午後です。

2007年5月5日土曜日

Beatles

唐突ですが、僕はBeatlesの真ファンで12歳の時から、全く浮気をせず、過ごしてきました。中学の時は西宮から東京に中2の終わりに、転校したこともあり、関西と東京のギャップに悩みながら、孤独に耐えつつ毎日Beatlesのアルバムを小さなレコード屋で一枚づつ買いそろえ、歌詞カードを見ながら毎日歌い、感動でクラクラして自分を慰めていたことをふと思い出しました。

4人の中では僕はPaul Mccartney が一番好きです。なぜかというとーこんなことに理由はないのですがー、音楽をプロフェッショナルとしてエンターテイメントなものとして自分も楽しみながらそれを一貫して体現している姿とか、どこまでもポジティブな歌詞やポップで天才としか言いようのないど真ん中ストレートなメロディーとか、まぁ、メンバー4人伴そうなのですが、特にPaul は僕の人生のメンターであります。

ただ実際、知人からどんな音楽聴くのとかいわれると、ウーンまぁロック全般かなとかいって隠れBeatleにナリスマシテしまいます。
特に僕らの上司の世代の40代中盤の人達は団塊の世代を徹底的に否定する傾向があって、(あくまで僕の経験上ですが)ビートルズぅ!お前そんなもの聴いてるのか!!!みたいな言われ方をしてやな思いをしたことがあり、同世代の友人も何人かはファンの人はいましたが、どちらかと言えば気の合わないタイプの人が多く、今ではもう習慣として自分一人で聞き込む音楽になっています。時代的にBeatlesファンと公言するのが、なんだか恥ずかしく感じてしまうような雰囲気だったのと、10代の頃は本当に好きすぎて、口に出して言えない程だった所もあったのだと思います。

今日はPaulのThis never happen before という曲が突然仕事帰りにちょっと寄った喫茶店で流れたのですが、自分の結婚式には是非流したい曲だと改めて思いました。といってもPaulはその曲リリースした後離婚しましたけど・・・。
ちなみに僕の座右の銘にしている言葉は
There is no end what we can do together.
というPaulのWith a little luck という歌の歌詞です。
今日は何だか熱く誰かに向かって熱く語ってしまいました。

2007年5月4日金曜日

五月晴れ


今日はお休みで先ほど起床し、うちのチワワのオレンジ君とごろごろして、朝食を食べながらいいともを見ています。
今日はとても気持ちがいいですね。オレンジもさっきからベランダで位置を決めて腰を据えた眠りに入ろうとしています。
そういえば5月ってとても好きな季節だったなと思い出しました。ここ数年5月は転職活動や仕事がとてつもなく忙しかったりしたせいか、あまりこういった気持ちのいい日をゆっくりと過ごした記憶が出てきません。ただ忘れてしまっただけかもしれませんけど。
 この間アルゴアの「不都合な真実」を観て、天候に関することに自然と注意が向くようになりましたが、今年はどうなるんでしょうね。
あの映画はプレゼンテーションの仕方と言う意味でとても勉強になりました。英語も聞きやすかったし。ただ、地球温暖化ということに関してはとにかく何だか地球が大変なことは解ったけど、地球温暖化というメカニズムについては全然知らないんだなということがよく解りました。
パワーポイントのプレゼンテーションでいつも思うのは画像やグラフでトン、トン、トンと単純化された理屈で来るので、とても解りやすく、あーなるほどね。と思うのですが、逆に解りやすすぎて、なんだか騙されているような気持ちになってしまいます。
実際、突っ込み所満載なプレゼンテーションもよくありますが(自分のも含めて)話術とテンポが良ければ語り手有利の完全ワンサイドゲームに持って行くことは可能です。これって何かちょっと危ない感じがしまよね。
聞き手(自分も聞き手側の場合が多いので)はもっと用心深くプレゼンテーション側に素早く反応出来る様にしなきゃだめだなと五月晴れの日にそう思いました。
ちなみに家の電球はあの映画観た後、全部省エネ電球使っています。

2007年5月3日木曜日

ゴルデンウィーク

いやーこの時期小売りは稼ぎ時ですが、本当にゴールデンウィークは疲れます。僕が勤めてるのはちょっとした流行のお店なのでその賑わいは本当に辟易としてしまいます。僕の場合は最初高額品を扱う店から低額ボリューム商品を扱う店に転職したのでそのギャップはとても大きいです、実際。高額品のお店はこの時期割と暇でしたから。
ここ十年の間に本当に小売りの業界地図は大きく変わりました。消費の2極化と言われてから久しいですが、店舗も急速に2極化してきました。百貨店はよりブランドをはじめとした高額品だけを扱う店が増え、対局に低価格、良品質に特化した専門店も数を増やしています。
10年前は百貨店と低価格店の間に無数のボーダーレスな種族のお店があったと記憶しています。百貨店も低価格に手を出していましたし、低価格店も高額品にチャレンジしていました。卸業者も海千山千でしたから、今程はっきりと住み分けが出来なかったのかもしれません。僕の体感では高額品のブームはもう終わり、顧客は物を良く吟味して安くて良い物を選ぶ人が増えているように思います。
百貨店、ブランド店はユーロ高の影響もあり、現実の消費者と時価がどんどんかけ離れているような気がします。実際売上もピークの2、3年前と比較して、かなり落ちているようです。高額ブランド品の中でも中国産がかなりの割合を占めるようになっていますから、品質の違いも昔ほど説得力がなくなっていると思います。
僕の漠然とした予感ですが、いずれ物の値段はその物プラス人件費と最低必要利益を含めた価格での消費者との等価交換にならざるをえないのではないかと思っています。つまりすべてのもうけのからくりが透けて見えて、不当な利益を上げている物に消費者は見向きもしなくなる時代がくるのではないかと。みんなが食いぶち分の利益だけとってあとは価格で消費者に還元するような経済社会が来るという期待は今の2極化時代の行き着いた果てに見たい僕の願望です。

2007年5月1日火曜日

ノルウェイの森 IN English

今 勉強のためにノルウェイの森の英訳版を読んでいる。20歳くらいの時に何度かオリジナルを読んで以来だが、英語で読むと、
この小説の不自然さを顕著に感じる。30代のおじさんが無理に20歳を装ったような雰囲気が至る所に臭う。多分英語だからではなく、
自分が年取ったからだと思うが、最初に読んだ時、とても刺激的でリアルに感じた物語が、作為的な作品に感じてしまう。あの頃は恋愛のことしか感心がいかなかったし、女の子とどうやって接したらいいかよくわからなかったし、グラビア見て夢の妄想に満ちた青春送ってたからかもしれない。まぁ要するに純だったのだと思うけど。
印象深かったのがレイコさんのピアノの教え子の女の子がレイコさんにレズビアンの手ほどきをするレイコさんの回想シーンで、僕は
もしかして、これレイコさんの作り話じゃないのかと、感じてしまった。最初に読んだ時はストーリーの迫力でそんなこと考えもしなかったのだけれど、そういう風に考えながら読むと、なんだか自分が世間そのものになってしまったような感じがして空しかった。
英語の構成がそう感じさせるのか、自分の年齢のせいか、もう一度日本語も読んでみようと思った今日この頃でした。
ちなみに次はポールオースターネイティブイングリッシュ小説を読む予定です。
村上春樹さんの小説は「ねじまき鳥クロニクル」が一番好きです。

2007年4月28日土曜日

ブログなるもの

を初めて始めて見ることにしました。
人生は勝手に進んでいくもので、このまま、ただいっさいが過ぎていくような感覚のまま日々を過ごしていくのは良くないと思い、
なるべく毎日日々のことをこちらに書き綴っていこうと考えています。つれづれなるままに。
今日は英会話に行ってきたのですが、我ながら大分コミュニケーションが英語で計れるようになってきたと思います。
ずっと日本で育ってきた者には英会話は鬼門ですが、まぁネイティブじゃないのだから伝わればいいやと開き直ってから少しは上達した
ように感じます。仕事で使わなくてはならないという強制的なプレッシャーもありましたけど。とはいえ、リスニングは練習を積めば耳が慣れてきてある程度解るようになりましたけどしゃべるのが難しい。
日本語でも英語でも何言ってるか内容が解りにくい人の言葉は流暢でもやっぱり解り難いものです。逆に伝わる人は英語が下手でも一発で伝わる。一番の敵は英語でしゃべろうとする時、物怖じしてしまうことですな。