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2007年5月5日土曜日

Beatles

唐突ですが、僕はBeatlesの真ファンで12歳の時から、全く浮気をせず、過ごしてきました。中学の時は西宮から東京に中2の終わりに、転校したこともあり、関西と東京のギャップに悩みながら、孤独に耐えつつ毎日Beatlesのアルバムを小さなレコード屋で一枚づつ買いそろえ、歌詞カードを見ながら毎日歌い、感動でクラクラして自分を慰めていたことをふと思い出しました。

4人の中では僕はPaul Mccartney が一番好きです。なぜかというとーこんなことに理由はないのですがー、音楽をプロフェッショナルとしてエンターテイメントなものとして自分も楽しみながらそれを一貫して体現している姿とか、どこまでもポジティブな歌詞やポップで天才としか言いようのないど真ん中ストレートなメロディーとか、まぁ、メンバー4人伴そうなのですが、特にPaul は僕の人生のメンターであります。

ただ実際、知人からどんな音楽聴くのとかいわれると、ウーンまぁロック全般かなとかいって隠れBeatleにナリスマシテしまいます。
特に僕らの上司の世代の40代中盤の人達は団塊の世代を徹底的に否定する傾向があって、(あくまで僕の経験上ですが)ビートルズぅ!お前そんなもの聴いてるのか!!!みたいな言われ方をしてやな思いをしたことがあり、同世代の友人も何人かはファンの人はいましたが、どちらかと言えば気の合わないタイプの人が多く、今ではもう習慣として自分一人で聞き込む音楽になっています。時代的にBeatlesファンと公言するのが、なんだか恥ずかしく感じてしまうような雰囲気だったのと、10代の頃は本当に好きすぎて、口に出して言えない程だった所もあったのだと思います。

今日はPaulのThis never happen before という曲が突然仕事帰りにちょっと寄った喫茶店で流れたのですが、自分の結婚式には是非流したい曲だと改めて思いました。といってもPaulはその曲リリースした後離婚しましたけど・・・。
ちなみに僕の座右の銘にしている言葉は
There is no end what we can do together.
というPaulのWith a little luck という歌の歌詞です。
今日は何だか熱く誰かに向かって熱く語ってしまいました。

2007年5月4日金曜日

五月晴れ


今日はお休みで先ほど起床し、うちのチワワのオレンジ君とごろごろして、朝食を食べながらいいともを見ています。
今日はとても気持ちがいいですね。オレンジもさっきからベランダで位置を決めて腰を据えた眠りに入ろうとしています。
そういえば5月ってとても好きな季節だったなと思い出しました。ここ数年5月は転職活動や仕事がとてつもなく忙しかったりしたせいか、あまりこういった気持ちのいい日をゆっくりと過ごした記憶が出てきません。ただ忘れてしまっただけかもしれませんけど。
 この間アルゴアの「不都合な真実」を観て、天候に関することに自然と注意が向くようになりましたが、今年はどうなるんでしょうね。
あの映画はプレゼンテーションの仕方と言う意味でとても勉強になりました。英語も聞きやすかったし。ただ、地球温暖化ということに関してはとにかく何だか地球が大変なことは解ったけど、地球温暖化というメカニズムについては全然知らないんだなということがよく解りました。
パワーポイントのプレゼンテーションでいつも思うのは画像やグラフでトン、トン、トンと単純化された理屈で来るので、とても解りやすく、あーなるほどね。と思うのですが、逆に解りやすすぎて、なんだか騙されているような気持ちになってしまいます。
実際、突っ込み所満載なプレゼンテーションもよくありますが(自分のも含めて)話術とテンポが良ければ語り手有利の完全ワンサイドゲームに持って行くことは可能です。これって何かちょっと危ない感じがしまよね。
聞き手(自分も聞き手側の場合が多いので)はもっと用心深くプレゼンテーション側に素早く反応出来る様にしなきゃだめだなと五月晴れの日にそう思いました。
ちなみに家の電球はあの映画観た後、全部省エネ電球使っています。

2007年5月3日木曜日

ゴルデンウィーク

いやーこの時期小売りは稼ぎ時ですが、本当にゴールデンウィークは疲れます。僕が勤めてるのはちょっとした流行のお店なのでその賑わいは本当に辟易としてしまいます。僕の場合は最初高額品を扱う店から低額ボリューム商品を扱う店に転職したのでそのギャップはとても大きいです、実際。高額品のお店はこの時期割と暇でしたから。
ここ十年の間に本当に小売りの業界地図は大きく変わりました。消費の2極化と言われてから久しいですが、店舗も急速に2極化してきました。百貨店はよりブランドをはじめとした高額品だけを扱う店が増え、対局に低価格、良品質に特化した専門店も数を増やしています。
10年前は百貨店と低価格店の間に無数のボーダーレスな種族のお店があったと記憶しています。百貨店も低価格に手を出していましたし、低価格店も高額品にチャレンジしていました。卸業者も海千山千でしたから、今程はっきりと住み分けが出来なかったのかもしれません。僕の体感では高額品のブームはもう終わり、顧客は物を良く吟味して安くて良い物を選ぶ人が増えているように思います。
百貨店、ブランド店はユーロ高の影響もあり、現実の消費者と時価がどんどんかけ離れているような気がします。実際売上もピークの2、3年前と比較して、かなり落ちているようです。高額ブランド品の中でも中国産がかなりの割合を占めるようになっていますから、品質の違いも昔ほど説得力がなくなっていると思います。
僕の漠然とした予感ですが、いずれ物の値段はその物プラス人件費と最低必要利益を含めた価格での消費者との等価交換にならざるをえないのではないかと思っています。つまりすべてのもうけのからくりが透けて見えて、不当な利益を上げている物に消費者は見向きもしなくなる時代がくるのではないかと。みんなが食いぶち分の利益だけとってあとは価格で消費者に還元するような経済社会が来るという期待は今の2極化時代の行き着いた果てに見たい僕の願望です。

2007年5月1日火曜日

ノルウェイの森 IN English

今 勉強のためにノルウェイの森の英訳版を読んでいる。20歳くらいの時に何度かオリジナルを読んで以来だが、英語で読むと、
この小説の不自然さを顕著に感じる。30代のおじさんが無理に20歳を装ったような雰囲気が至る所に臭う。多分英語だからではなく、
自分が年取ったからだと思うが、最初に読んだ時、とても刺激的でリアルに感じた物語が、作為的な作品に感じてしまう。あの頃は恋愛のことしか感心がいかなかったし、女の子とどうやって接したらいいかよくわからなかったし、グラビア見て夢の妄想に満ちた青春送ってたからかもしれない。まぁ要するに純だったのだと思うけど。
印象深かったのがレイコさんのピアノの教え子の女の子がレイコさんにレズビアンの手ほどきをするレイコさんの回想シーンで、僕は
もしかして、これレイコさんの作り話じゃないのかと、感じてしまった。最初に読んだ時はストーリーの迫力でそんなこと考えもしなかったのだけれど、そういう風に考えながら読むと、なんだか自分が世間そのものになってしまったような感じがして空しかった。
英語の構成がそう感じさせるのか、自分の年齢のせいか、もう一度日本語も読んでみようと思った今日この頃でした。
ちなみに次はポールオースターネイティブイングリッシュ小説を読む予定です。
村上春樹さんの小説は「ねじまき鳥クロニクル」が一番好きです。